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CSTAの気楽な日々

   

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Sadistic Mika Band(サディスティック・ミカ・バンド) : 黒船


1974/11/05

 1.墨絵の国へ
 2.何かが海をやってくる(インストゥルメンタル)
 3.タイムマシンにおねがい
 4.黒船(嘉永六年六月二日)(インストゥルメンタル)
 5.黒船(嘉永六年六月三日)(インストゥルメンタル)
 6.黒船(嘉永六年六月四日)(インストゥルメンタル)
 7.よろしくどうぞ(インストゥルメンタル)
 8.どんたく
 9.四季頌歌
10.塀までひとっとび
11.颱風歌
12.さようなら

 ロックファンというのは、自由だ愛だといった歌をしょっちゅう聴いているくせに案外保守的な姿勢を持つ人も少なくない。曰く、日本の曲はねぇ、とか、女はねぇ、とか。ロック聴いてて偏見持つってなんか皮肉。聴いたけど合わない、自分にはどうも合わない、というのなら分かるけど、ロックに食わず嫌いならぬ聴かず嫌いは似合わないと思う。
 それはともかく、日本のロックアルバムの中からベストアルバムを選ぶとなると、「黒船」は必ず入るな。まず何を差し置いても「黒船」。後は意見が違っても、まずは「黒船」。寿司屋で最初に白身を口にするように、最初にラーメンのスープを確かめるように、お作法のようなもんだと思う。
 '70年代前半、日本語ロック論争なるものがあったそうだ。はっぴいえんどが日本語で歌ったことに対して、内田裕也からロックは英語で歌うものだという意見があり、喧々諤々あったそうだ。
 その話を最初に聞いた時、実は私、笑ってしまいました。"Johnny B Good" を「あいつがお~れに言うことにゃ~」なんて歌ってしまう下品なオヤジが「ロックは英語で」なんて言ってたなんて、ほんまでっか? うっそー、嘘ちゃうんのん! 人を笑わすにもほどがある。
 ま、これ以上ははっぴいえんどで触れる話題かもしれないので、深くは触れないとして、そんな論争を知ってか知らずか吹き飛ばしたバンドの一つが、サディスティック・ミカ・バンドだ。そして同時期に、一緒にツアーをしたこともあるキャロルだ。内田裕也はキャロルに言わなかったのかなぁ、「英語で歌え」って。同時期に日本語でプログレもってことを実証した四人囃子もいた。グダグタ言うよりやってみろってことか。英語でも何語でも関係ないのだ。ロックは英語でなんて偏見がここにもあった。
 ミカ・バンドはトノバンこと加藤和彦がイギリスで見てきた、影響を受けたことをベースに、やってみたいことをやったようなバンドだった。"Sticky Fingers" あたりの Rolling Stones や 当時流行のグラム(T. Rex や David Bowie)の影がちらほらと見える。それはファースト・アルバムに顕著だが、セカンド・アルバムとなるこの「黒船」は、プロデューサーに Chris Thomas を招いて作成された。Beatles の "The Beatles"(いわゆる "White Album")で苦労した当時気鋭のプロデューサーだった(らしい)。
 どうして「黒船」というコンセプトにしたのかは分からないが、「黒船」にまつわる幕末をテーマとしたこのアルバムは、もしかしたら英語だ日本語だあーだこーだと喚いている一部ロックの聴き手には嘉永六年(西暦1863年)に強引にも日本にやってきた黒船ほどのインパクトがあったのかもしれない(尤も、最初から聴かなかったのかもしれないが)。
 アルバムの始まりは今井裕のキーボードの音からだ。今から思えばいかにも'70年代前半の音だ。小原礼のベースが加わり、高くて細めのスタイルそのままの加藤和彦のヴォーカルが流れてきて、そしてミカと高橋幸宏の声が入ってくる。アルバムの開始を告げる「墨絵の国へ」が終わるとともにベースのリズムが一変し、高中正義のギターが流れてくる。「何かが海をやってくる」だ。ここまでがアルバムの長い導入部という構成だ。
 そして次はインパクトのあるイントロから始まる「タイムマシンにおねがい」だ。このイントロのドラムを聴くだけで、高橋幸宏のドラミングの基本パターンはこの頃既に出来上がっていた印象を受ける。ミカはスタジオで何度これを歌ったのだろうと思うほどだが、サディスティック・ミカ・バンド最高の、そして日本の女性ヴォーカル曲最高の一曲になっている。結構ピアノが良い感じである。また、終わり方がフェードアウトではなく、「タイムマーシンに~おーねがい」のリフレインが続く中で、「タイッ」と切れているのも良い選択だ。
 ここでまたインスト曲が始まるが、今度は高橋幸宏のドラムから入り、高中正義のギターがうなる。タイトルの「嘉永六年六月二日」は実際にペリーがやって来た日である。曲調が変わり人の声(うなり声や雄叫びみたいなの)が入り、翌日(嘉永六年六月三日)に移る。二日が黒船がやって来てこれから何かが起ころうとしている緊張感を伝え、三日がそれに続くてんやわんやの大騒ぎなのだろうか。ギターが、楽譜にすると16分音符と8分音符の連続で五線譜上を右上がりに進む、ネック上の左手が薬指と人差し指を主に交互にフラットを進みながらスライドしていく、といった盛り上がりの後、一変して一夜明けた後の穏やかな海を思わせる四日に移る。日本の歴史ではこの日から「日本の夜明け」に向けて大きく動き出すのだが、それをイメージしたのだろうか。大きなうねりを表現しながらアナログ盤時代のA面が終わる。
 アナログ時代のB面の始まりは何やら賑やかな「よろしくどうぞ」を前奏とした「どんたく」から始まる。開国をし、異人さん達が居留区で休日を楽しむ「どんたく」の中の「お祭り騒ぎ」に呼応した「よろしくどうぞ」から、高橋幸宏のドラムによって「どんたく」が始まる。そのイントロの特徴のある音はジーンズのジッパーをサンプリング(とは当時は言わなかっただろうが)した音らしい。「どんたく」とはオランダ語の日曜日 "Zontag" からきた言葉で、日曜日のお休みを楽しむ異人さんを見たというモチーフで楽しい曲となっている。七曜制は平安時代には日本に入っていたが定着せず、江戸時代の商店の休日は例えば2の付く日を休みにするなど、10日毎であったようだ。
 「休日はどうなってますか」
 「2の付く日が休みや」
 「ようけありまんねんな。2日、12日、20・21・22、、、」
 という花紀京のくすぐりが面白かった。
 次の「四季頌歌」は淡々と日本の四季を表現する曲だが、ここでは異人さん達に日本の四季の移り変わりの美しさを伝えようということだろうか。春の次に入る間奏は梅雨と梅雨明けを告げる雷である。
 「塀までひとっとび」はファースト・アルバムにも少し通じるようなノリの曲で、久しぶりにミカのメインヴォーカルである。歌詞にそれほど意味はないが、UKでも "Suki Suki Suki" としてシングルカットされたようだ。次の「颱風歌」は小原礼の曲で、前曲との連続になっているようでもある。かつては日本に来る異人さん達は台風シーズンをどう把握し、発生した場合はどう予測するかが、航海上大きな問題だったことだろう。
 そして加藤和彦調の「さよなら」で静かにアルバムの幕が閉じていく。
 このアルバムは "Black Ship" としてUSやUKでも発売された。今でもUS盤はファーストアルバムと合わせて選曲したCDとなって売られている(いつもUSではUKを含む外国のアーティストのアルバムは2枚のアルバムから適当に選曲して1枚にするというUS盤を出すのがお好きなようだ)。そして '75年には Roxy Music と全英ツアーを行っている。それについては "Live In London" で取り上げたいと思っているが、Sting や Japan のメンバーはかなり影響を受けたという。Police が活躍していた頃、なんか高橋幸宏みたいなドラムだなぁなんて印象を受けたことがあったが、そういうことだったのか。
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遠藤賢司 / 満足できるかな

 1.満足できるかな
 2.カレーライス
 3.おやすみ
 4.待ちすぎた僕はとても疲れてしまった
 5.外は暑いのに
 6.今日はとってもいい日みたい
 7.寝図美よこれが太平洋だ
 8.ミルク・ティー
 9.早く帰ろう
10.雪見酒
11.君はまだ帰ってこない

 すみません、満足できませんでした。
 みうらじゅんが「エンケンさんはロックだ」「すごい」なんてほめているので、ある日中古屋で見つけて買ってきた。
 ロック?
 満足できるまで、何度も我慢して聴かないと、分からないのだろうか。お代を返せ! 中古屋で安かったのがせめてもの慰めか。
 と、ここで思い出した。
 高校時代などは、多くの人が聴いているのはそれなりに何かあるのだろうから、あれこれ聴いてみようと人からレコードを借りて聴いてはみたが、アルバム1枚聴いてそれっきりというのが結構ある。思い出しつつ以下列挙する。
オフコース
 同じクラスの女の子が確かベスト盤みたいなのを持っていたので借りた。野郎だったら借りなかったかもしれない。とにかく何も印象に残らなかった。後でよくタモリがあれこれ言っていたが、いえるだけ聴いただけでもすごいと思った。なぜ人気があったのかすら分からなかった。
寺尾聡
 井上陽水の記録を上回る売り上げということで、当時アルバム売り上げ枚数記録更新だったように記憶している。友人がいいよぉというので借りてみたが、なんか Billy Joel のGS風焼き直しみたいな、なぜいいのかこれまた理解できなかった。
サザン・オール・スターズ
 アルバムを聴いた時、鼻歌を延々と聴かされるほど自分は人間が出来ていないみたいなことを思った。苦痛だった。あの歌い方も耳に馴染まないし。確かひょっとこ顔みたいなジャケットだった。
 その後もまともに聴いたことがないが、桑田というのはユーミンと並んで、期待に応えるモノを持っているのだろう。自分の曲のパーツをあれこれ持っていて、それが桑田の場合は鼻歌として何度も出てくるんだろうが、それらを組み合わせてファンが安心する曲を作り上げる術を確立しているんだろうと思う。どちらも商売人としてエライ!
ゴダイゴ
 なんか一時期すごく流行ってましたが、幼馴染みが薦めてくれてレコードを貸してくれたが、返す言葉がなかったような気がする。
 また、今思い出すと幸いにもアルバム1枚すら聴くことがなかったが、それなりに聴いてるのが周りにいたというのがあった。
横浜銀蠅
 えー年こいてよーやってるわぐらいにしか思わなかったが、ある一定層でこういうニーズはいつもあるんだろうな。ヤンキー系の奴らが聞いていたな。それ以前のクールスとか、何のインテリジェンスも感じさせないが、一定のニーズに応えていたんだろうな。今の氣志團とか。それに、ARBって何の略だったっけ。なんかこれも賢そうに見えないので敬遠したな。
チューリップ
 虫唾が走るというのはこういうことを言うのかということを体感させてくれた。私が知る以前に大ヒット曲があり、2曲目のヒット曲が出た頃、まだ居たのかと思ったけれど気持ちが悪かった。それにしてもなんてグループ名なんだ。気概も何も伝わらん。ふきのとうとかグレープとか、何でそんな名前を付けるのかね。それらの中でも最低の名前だね。そんなことをよく言っておりました。
 それと、オフコースと区別が付かん。同じような形態のようだけど、こいつらはフォーク調GS(ニューミュージック風味)なんだろうか。
 ま、私見ではこんなところで、私とはまったく違う感性と波長でもって聴いている方も多く居ると思うが、別にそういう方々をどうこう言っているわけではないので、気にしないでください。それにしても古い名前が並んだなぁ。
 今思うと、聴いてみようというトライアルを何度かやって、勘を育てていたのかもしれない。その内アルバム1枚聴かずとも、これは聴かなくていいなとか、これは合いそうにないなというようになっていったのだろう。そういう意味ではその勘でもって聴いていなかった(大体風貌と曲のタイトルで経験的に感じていた)、エンケンを聴かしめたみうらじゅんはエライ! あと、そんな感じでは早川義夫(だいたい「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」なんて、なんてかっこ悪いタイトルなんだろう。GSだし)とか、なぎら健壱(だいたい知性を感じさせないし、葛飾でバッタでも探してりゃ良い)とか、無理やり出しているが、聞かないだろうなぁ。

David Bowie : The Rise And Fall Of Ziggy Stardust And The Spiders From Mars 邦題:デヴィッド・ボウイ:ジギー・スターダスト


1972/06/06 (UK)

 1.Five Years
 2.Soul Love
 3.Moonage Daydream
 4.Starman
 5.It Ain't Easy
 6.Lady Stardust
 7.Star
 8.Hang on to Yourself
 9.Ziggy Stardust
10.Suffragette City
11.Rock & Roll Suicide

 Bowie を知ったのはいつの頃だったか、"Low" から "Heroes" にかけての頃だったと思う。 "Heroes" はかっこいい曲だった。それは別途書きたいと思うが、その後来日した時、自分の誕生日に大阪でのライブがあり、行きたいなと思った。まだガキだったので、後日放映されたNHKの「ヤングミュージックショウ」で我慢するしかなかったのだが、"Low" と "Heroes" からの曲以外には、結構このアルバムからも取り上げていた。
 早速このアルバムも購入となったわけだが、なんとも長いタイトルである。
 "The Rise And Fall Of Ziggy Stardust And The Spiders From Mars" なんて長いタイトルは、ガキの私にとって諳んずることができる最長の "SGT. Peppers' Lonely Hearts Club Band" を超えていた。あまりに長いので、"Ziggy Stardust" と普通は略す。
 ところで、誰だ。帯か中の紙だったかは忘れたが、「屈折する星屑の上昇と下降、そして火星から来た蜘蛛の群れ」なんて真直ぐ過ぎる直訳を記していたのは。ガキの私は本気でそう思ってしまいそうだった。何でそんな変な日本語が記されたか、理由を知る由もないが、
 ・"Space Oddity" って宇宙のイメージの Bowie だから宇宙のことだろと安直に付けた
 ・かっこいい邦題が決まらなかったので、ならそのまま訳してみると面白いかもという確信犯的行為
 ・何も考えずにバイトに頼んだらこうなった
ってなとこだろうか。確かにかつては「狂気」だとか「危機」だとか、そういう邦題をつけるのに力を入れることもあったから、案外2番目みたいなことだったのかなと思う。
 ただ、アルバムを聞いてみれば分かる通り、このアルバムは David Bowie 扮する Ziggy Stardust というロックスターの物語(またはアルバム)という形態だ。The Spiders From Mars はそのバンドの名前。ザ・スパイダーズでなくてよかったと安堵の気持ちを抱いたのは私だけではないだろう。業界パラサイトかまやつのいたバンドなんて良く知らないが。それはさておき、その Ziggy 率いるバンドの、硬い日本語で言えば栄枯盛衰物語がタイトルの意味である。ところで、いまだに私は Ziggy という言葉に「屈折する」という意味があるのかどうかは知らない。"ZigZag" の"Zig"からの発想だろうか。 Bowie としてはそれよりも、 Stardust という言葉を使って、光ってはやがて消えていく Rock'n'Roll Star は Stardust なんだというメッセージをこめたかったのかもしれない。
 David Bowie の大きな転換点を考えると、1つに "Young Americans" そして次に "Let's Dance" が挙げられ、"Ziggy Stardust" を頂点とするグラムの時期と、"Scary Monsters" を最後とする変化の時期と、その後に分けて考えても良いかもしれない(大雑把過ぎるが)。と考えると、'75年以降の Bowie を知る人が初めて "Ziggy Stardust" を聴くと、Bowie の声の違いに戸惑うかもしれない。声質がかなり違うのである。若いのである。しかし、単に若いというのではなく。意識してそういうグラムに向いた声を出していたと思う。
 フェードイン気味にドラムの音から入ってくる "Five Years" は、ある意味このアルバムの主題をいきなり告げているかのようだ。もうあと5年しか人類に残されていないという事実とそこからくる抑圧感がこのアルバムを支配する。 '70年代に入り、人々は世紀末を意識するようになった。今から思えば馬鹿らしい話かもしれないが、ロンドン・スィングを経て人類が月に行くようになると、21世紀それよりも20世紀末を意識し、終末観が一種のトレンドとなった。そういう時代を感じる。
 次が転拍子の感じも良い "Soul Love" だ。一曲飛ばして "Starman" がとても良い。アメリカではいまいち受けないのか、Best のUS盤には入っていないのが残念だが、日本では人気が高く、'91年からは日本ではプレイするようになった。いつ聴いてもなんか懐かしい感じがする曲だ。アナログ時代のB面の先頭は "Lady Stardust" で、なぜかTVのCMに使われていた。ピアノが美しい曲だ。高校時代、同級生にこのLPを貸したところ、この曲が良いと長時間かけて訳したと言っていたが、英文科志望にしては時間かかりすぎちゃうって思ったことを思い出す。
 そのままノリも良く "Star" 以降の曲が続く。このアルバムはSF的な「屈折する星屑」ではなく Ziggy Stardust という Rock'n'Roll Star のアルバムだとここでも分かる。 "Hang on to Yourself" のギターのリフは後年のパンクやニューウェイヴに結構参照されたと思う。そしてテーマソングである "Ziggy Stardust" だ。これを聴くとギターを弾く Ziggy は上昇や下降を宇宙空間で行うような星屑でないことは明白だが、当時のUKのロッカーたちのひそかな流行だった Japan もしっかりと入っている。単に "Cat from Japan" と言ってるだけだが、Queen の "Killer Queen" の中の "Geisha Mainer" と同様雰囲気なのだろう。ただこの曲では、以前からずーっと心に引っかかることがある。"Ziggy plays guitar" なのだ。guitar に冠詞がないのだ。通常なら定冠詞の "the" が付くはずなのだが、なぜ付いていないのか。もしかしてそれも Bowie の狙いなのか。
 実は次の "Suffragette City" もずーっと心に引っかかっているのだ。"Suffragette" は辞書を見ても「婦人参政権論者」といった意味しか出てこないが、この曲のみならず、Paul McCartney & Wings の "Jet" も "Suffragette" と叫ぶのだ。確かUKは日本よりも後に婦人参政権が国会で承認されたと思うが、なぜこの言葉がそんなに歌われるのか。
 そして最後に "Rock & Roll Suicide" で "Wonderful" というコーラスと共に少しドラマティックに幕を閉じる。
 私の手許にある初期の日本盤CDには、さらに追加して "Velvet Goldmine" が入っている。数年前 David Bowie なのかそれとも Ziggy Stardust なのかをモデルにしたような、'72年前後のグラムロックの時代を描いた同名の映画があった。あまり映画を見る方でもないので、さして面白いとは思わなかったが、Bowie はこの映画に自分の曲が使われることを拒否したそうだ。正解だった。
 どうせなら、その頃の Bowie のドキュメントがあれば、ずっと面白いように思う。バイだと公言しつつもアンジー(そう、Rolling Stones の "Angie")と一緒だし、ジェンダーのはしりみたいな格好をして、Mark Bolan や Andy Warhol, Lou Reed などとお祭り騒ぎだったのか、でも案外普通だったり、どこまで計算していたのか、パンクの頃よりも頭の良い連中が多かった分、時代を感じることが十分にできそうに思う。
 ついでながら、近田春夫の「星屑兄弟の伝説」はなんか関係あるんだろうか。どっちでもいいことだけど。

Beatles : Let It Be...Naked 邦題:ビートルズ:レット・イット・ビー・ネイキッド



2003/11/17

 1.Get Back
 2.Dig A Pony
 3.For You Blue
 4.The Long And Winding Road
 5.Two Of Us
 6.I've Got A Feeling
 7.One After 909
 8.Don't Let Me Down
 9.I Me Mine
10.Across The Universe
11.Let It Be

 「冗談で弾いているのかと思った」とは、いつのことかは不明だが、George Harrison を評した Jimmy Page の言葉。Jimmy Page も同様の言葉を投げつけられたとも思えるが、それはさておき George のプレイはなるほどそう思わせるものがある。
 DVDでも発売された Anthology に収められた '65年前後のプレイを見ると、さもありなんである。どうしてあんなにつっかえるのかなぁ、、、。 '66年夏を最後に Beatles はライブ活動を休止するが、その大きな理由は George にあるのではと、勝手に想像してみる。当時はまだPAがなかったので、プレイ中に十分に音が聞こえなかったかもしれないが、 Paul は George を詰らなかったのだろうか。まぁまぁまぁなんて George の良き兄貴である John が中に入ったりして。とにかく George のプレイはかわいそうなほどイタイ。アルバムの1枚目や2枚目はそれ以前からのプレイも活きてそれなりにこなしているが、3枚目辺りからは技量が落ちたように思えるほどだ。いつ練習できるんだというよな生活だから仕方がないかもしれない。
 George の不幸の一つには、二人の天才を擁する人気バンドの中にいた平凡な人間であったことだ。同じグループのベーシストの方がギターの腕前は上だった。まして弾きながら歌うなんて器用なことが、その二人ほどにもできなかったし、もちろん曲もそれほど書けなかった。事実として、"Ticket To Ride" のリードを Paul に譲ったのがきっかけかどうかは別にしても、自作の "Taxman" のリードも Paul に、そして"While My Guitar Gently Wheeps" は Eric Clapton にリードを譲っている(というか、チョーキングがどこまでできるのかすら疑問な George には弾けなかったのだろう)。ギターだけでなく、シタールを取り入れた。これは George の功績と言っても良いが、George が最初でなくても早晩、誰かが入れただろう。そのシタールにしても、後から手にしたはずの器楽の天才 Brian Jones (Rolling Stones) が軽々と弾きこなしてしまう。プレイヤーとして悶々たる日々を送っていたのではないか。
 あと一つの不幸は、Yoko の出現だ。Beatles の4人の中では、末弟 George を長兄 John が可愛がるという構図があった(と見る)。George にとっては音楽的には何にも敵わない真ん中のお兄ちゃんの Paul が、時として責める(って感じじゃなかったのかなぁ)。Paul にとってはそんな気がなくても、巧く弾けない George には責められているような状況だっただろう(と、想像は続く)。後からやってきた親戚のお兄ちゃんの Ringo はちょっと距離を置いていたかもしれないけれど、John はそんな George の支えであった。しかし、そんな John も他のメンバーにとっては理解不能な Yoko にべったりとなってしまう。末弟のことなど構ってられるかって状況だ。映画 "Let It Be" の中では Paul と George の口論めいたシーンがある。George のギターが歯痒い Paul が指導めいたことを言うと、George が捨て台詞を吐く。「言われたとおりに弾くよ」と。恐らく Paul は口にこそ出さなかったが、「言われたとおりに弾けないくせに」と思った(と、さらに想像してみる)。かつては取り成してくれた John は、碧の黒髪靡かせた得体の知れないおばさん(と、George から見て)とべったりで、相手にもしてくれない。George は末弟よろしく駄々をこねて脱退をにおわす。「代わりに Eric Clapton を入れれば良い」。
 Geroge の幸せは、理解力のあるメンバーがそろっていた Beatles の最年少メンバーだったことだ。インドに傾倒しても、取り敢えずインドまで付いて来てくれるし、インド音楽だってアルバムに入れてくれる。脱退をにおわしても、悪者にはならなかった(結局、皮肉なことにも最も Beatles を継続したかった Paul の脱退で、Paul が悪者になる)。そして Paul も後で自分のギターに入れ替えるなんてこともせずに、最後まで George のギタープレイを活かしてくれた。誰もが George を温かい目で見続けてくれたし、誰か他に代えようなんて思ってもいなかっただろう。しかし George にはそこまでの謙虚な自覚は感じる余裕すらなかったのではないか。二人の天才と己のギャップにあがき続けた George の、Beatles に在籍することが苦痛でもあった凡人たる所以である。
 そんな George のギターの音が聴いててつらい作品になってしまったのがこのアルバムである。確かに、Phil Specter によるごてごてした装飾は、Paul の当初の意図に外れることはあっても、イタイところを多少は誤魔化す努力の結果でもあった。これは Naked ということで、誤魔化しは少ない。残念なのは、当時のメンバーの状況からベストテイクを残せなかったことである。Beatles でなければ、そしていくつかの名曲が入っていなければ、そう、単なる無名バンドの、または凡人による "For You Blue" や "I Me Mine" 程度の曲の集まりであったら、再レコーディングが必要な駄作と評されるだろう(というか、評価の対象にもならないかも)。
 なぜこういう形でCDとして陽の目を見ることになったのかは不明だが、前宣伝のし過ぎではなかったか。CDも業界全体の売り上げが落ちている。雑誌もそうで、音楽関連出版社による特集も目立った。ケータイの使用料が格安にならない限り、現状ではどちらも全体の売り上げを大きく上げるのは難しいかもしれないが、ここで Beatles でもって儲けなければ、なんてったって永遠のドル箱だものということか。前宣伝で期待を膨らませると、そのギャップに悩むことになる。
 "The Long And Winding Road" は Paul が意図した形になったのだろうなと思う。Phil Specter にオケやらコーラスを入れられたことが不満であるとした Paul の話を聞いて、'76年に Wings でプレイしたものを収めた "Wings Over America" での "The Long And Winding Road" の方が、演奏としても上ではないか。ギターの音が時々耳障りな感じがある。もっと気合入れて弾けよと。
 それでも、最初に出た "Let It Be" と比べて、シンプルな面と、メンバーの言葉遊びなどがなく、スタジオライブ的なアルバムとして聴くことができる。また、"Maggie Mae" や "Dig It" が入ってない方が良いという意見もあるだろう。その代わりに "Don't Let Me Down" が入っているし。ただ、曲順が少し気になる。映画では "Get Back" が最後だったが、やはりここでもそうして欲しかった。アルバムを通してすんなりと聴くことができる構成にはなっているが、最後の "Let It Be" のギターでこけてしまう。イタイ。そのイタサを考えていると、ここまでの長文になってしまった。因みに "Get Back" のリードは John である。
 最後に、もし George の代わりに Eric Clapton がメンバーだったら、、、と想像してみるのも良いかもしれないが、配偶者だけじゃなく、最も人気とカリスマ性のあるバンドのメンバーの地位までもが Eric Clapton のものになったとしたら、あまりにも酷であるので、今のところは考えないようにしよう。

或る昭和の記憶 自叙回想 支那事変勃発

二年生の夏七月七日支那事変が勃発、大人から小さな私たちまで皆んな戦争を体験していく。出征兵士を見送りに、日の丸の小旗を振り、駅までの遠い道程を軍歌を唄い、萬歳々々を叫んで送って行く。駅ではプラットホームに立ち列車の消え行く迄萬歳を連呼した。

兵隊検査で甲種合格或いは第一乙種位の立派な体格の持主が殆どである。凛々しく頼母しく感じられ、話に聞く広い支那の大陸での活躍、手柄を祈念した。

盧溝橋事件を切掛けとして起こった支那との戦争。日本政府は宣戦布告なしで、支那事変と呼称し、局部戦争に見せかけたが、紛れもなく全面戦争であった。

上海南京等が陥落の都度、旗行列、提燈行列と、日本軍の戦果と、戦意の高揚を国民に知らしめ、私達にも滅私奉公、尽忠報国なる精神を植えつけていった。

近隣の町内会の青年に召集令状が届けば、老若男女を問わず役場前の広場で一斉に壮行会を催す。

見送る軍歌は主として日清、日露の戦役の時のものであろう。相当古いものばかりで私が小学校へ入学する以前から耳にしたことのある「砲筒の響き遠ざかる、後には虫も声たてず、、、」「天に変わりて不義を打つ、忠勇無双の我が兵は、、、」等々、子供ではとても歌詞についての意味は理解できない。ただ単に大人や上級生の唄う歌の聞き覚えだ。

 

さて、私の住んでいる家の筋向いに小枝の正ま(たぶん小枝正男であろう)という鶏を沢山飼育されている家があった。名古屋コーチン、チャボ、黒柏鶏等、品種の変わったもの、色彩豊かな素晴らしい鶏もあり、珍種を見せてもらった。常に広い金網の中を自由に動き廻り、時には羽ばたく姿は実に美しい。何時まで見ていても飽きることはなかった。趣味で飼育されているのだろうか。その正まのご子息が戦争の始まる前から海軍に入っておられた。私の知っている限り一度帰省され、軍服姿の儘、玄関前に立っておられ、私を見てにっこり微笑まれた。私は慌てて軽く頭を下げた。

背が高く、引き締まった体格、恰幅の良さには幼心に海軍の兵隊さんは良いなあと憧れにも似た心を押さえることができなかった。

併し、時として戦場で華々しく散って行かれた悲しい英霊を迎えに行かなくてはならない日もあった。あの快活に笑顔で元気一杯挨拶された当時の面影を偲び、皆整列して頭を下げた。私達の前を白布での包みを首に下げられたご遺族肉親が静々と歩かれる、その姿に一縷の涙が頬を伝った。

そのような流れでも父の職業柄、家族の者が何不自由なく平和で明るい家庭を持続することができた。

 

父の勤務先に松本さんという可成り高齢と見える工手さんが休日を除き毎日早朝に来られ、玄関及び広い土間等を清掃され、打ち水もして清々しい気分にしてくださる。又父の革靴を刷毛を用いて磨かれたりする。そして井戸のポンプを押して風呂の水を汲む、そういう行為に母はいつも感謝していた。

こういったことも父の部下に対する思いやりのあらわれであろう。

母は本当に働き者であった。八人の大家族、家事一切を母の手に委ねなくてはならない。兄の汽車通学の関係で朝五時前から炊事に取り組まねばいけない。私が一眠りして目が覚めた深夜、母の繕い物をしている姿を見ることがあった。

小学校二年生というのは実にヤンチャ坊主の集団だ。下級生ができた関係だろう。勉強に身を入れる者は皆無に等しい。私もその通りだった。毎日先生から出される宿題(主としてプリント)を帰宅後、早々と片付け、それ以外の勉強は殆どやらない。

良く暴れ、遊び、疲れ、夜の食事、入浴が済めば布団に潜り込む。朝まで何もわからず寝入る毎日。母も私の長時間の睡眠にただ呆れる許りであった。

プロフィール

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CSTA
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性別:
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