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気楽に考えていることや過去記事(終了サービス)の再アップロード(音楽レビューやアクアリウム)等

CSTAの気楽な日々

   

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Otis Redding:The Ultimate Otis Redding



 1.Respect
 2.Sittin' On The Dock Of The Bay
 3.These Arms Of Mine
 4.Pain In My Heart
 5.Come To Me
 6.Security
 7.That's How Strong My Love Is
 8.Mr. Pitiful
 9.I've Been Loving You Too Long (To Stop Now)
10.Satisfaction (I Can't Get No)
11.Fa-Fa-Fa-Fa-Fa (Sad Song)
12.Try A Little Tenderness
13.Chained And Bound
14.Shake
15.Ole Man Trouble
16.Let Me Come On Home
17.Open The Door
18.That's What My Heart Needs
19.Tramp
20.I Can't Turn You Loose
邦題: オーティス・レディング 『ジ・アルティメイト・オーティス・レディング』


 きっかけは上田正樹&サウス・トゥ・サウスだった。これは聴いてみようと手にした。"Sittin' On The Dock Of The Bay" はやはり名作で、それとは知らずに聞いている人も多いと思う。この曲を聴くために、もしかしたら矢沢永吉から入った人もいるかもしれない。
 上田正樹&サウス・トゥ・サウスも取り上げているが、やはり "Try A Little Tenderness" や "I Can't Turn You Loose" がいい。
 それにしても60年代中盤でこんなに熱かったのかと思うほどだ。惜しくも67年12月に飛行機事故で亡くなっているが、その3日前にレコーディングした遺作が "Sittin' On The Dock Of The Bay" ということだ。短すぎる活動期間と早すぎる死のために、リアルタイムで体験していないものはいろんなルートから辿りつくしかないようだ。しかもリアルタイムでも聴いている人は日本ではかなり少なかったのではないか。なにしろ "Sittin' On The Dock Of The Bay" で全米R&Bチャート1位を初めて得たのが、死後のことだから。
 しかし今聴いても、古さは感じても古臭さは感じない。むしろこの熱さから多くの人が影響を受けたのが伺える。
 私の知人は Rolling Stones から入ったそうだ。そういう人も多いだろう。忌野清志郎はRC時代から見るからに Stones の影響が伺えたが、Otis の影響の方が強いなと思う。ただ、誰の影響とかあまり口にしないので、RCから入った人は少ないかもしれない。
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上田正樹と有山淳司:ぼちぼちいこか


1975/06/01

 1.大阪へ出て来てから
 2.可愛いい女と呼ばれたい
 3.あこがれの北新地
 4.Come onおばはん
 5.みんなの願いはただひとつ
 6.雨の降る夜に
 7.梅田からナンバまで
 8.とったらあかん
 9.俺の借金全部でなんぼや
10.俺の家には朝がない
11.買い物にでも行きまへんか
12.なつかしの道頓堀

 大阪が好きな人、ブルースが好きな人、もしくはどちらかに興味がある人、必聴です。日本の音楽シーンに興味があるのにまだ聴いたことがない人、すぐにでも聴きましょう。あまり知られていないアルバムなので、まさに隠れた名盤かもしれない。
 大阪の街角で口八丁手八丁で商売している口上師の声からはじまる「大阪へ出てきてから」は、大阪へやってきてから1年、3年、5年と進むにつれての変化が歌われている。大阪という街は日本で最も「都市の空気は自由にする」に似合う街かもしれない。「三代住まなきゃ」などという野暮なことは言わない。上田正樹の詳細な経歴は知らないが、京都府(のどこか不明だが)出身で、子供の頃は兵庫県の西部にいたようだ。家出して大阪の天王寺公園で生活し、歌うようになったようだが、この頃はもうすっかり大阪人である。なんともいえない切なさが漂う曲で、上田正樹のハスキーヴォイスと合っている。この曲での1人称は「わい」である。曲の終わった後の街に流れる呼び込みの声も、なんだか大阪の街を思い出させてくれる。
 次はブルースの基本を押さえた曲調となっている「可愛いい女と呼ばれたい」だが、おかまの悲哀を歌うのにはブルースが最適なのかもしれない。1人称は「わたし」。
 3曲目は一転変わって中西康治のピアノが効いた「あこがれの北新地」で、1人称は「わい」。大阪の普通の庶民、雇われるか中小の工場や商店をといった庶民は、「わいはいっぺんここで 酒を飲みたかったんや」に共感し、ホステスのねーちゃんの「ここはあんたら若いもんの 来るとこやおまへんで」の言葉に、いっぺんでもええからそんなこと言われてみたいと思うのだ。
 次はこのアルバムで最もアップテンポの「Come onおばはん」で、ライブでは上田正樹は「踊れる感じで」と言いながら演っている。一部今は使うことがなくなった言葉など時代を感じるが、ノリの良い曲である。一箇所、伏字の歌詞がある。そこはくんちょうさん(堤和美)のカズーでカバーされているが、関西人であればカズーを口にしてくんちょうさんが言っている言葉が分かって面白い。1人称は「わい」。
 「みんなの願いはただひとつ」は「今度給料もらったら」どうするかといった庶民のささやかな夢を歌う。「しんどい目ぇしてやっともらったボーナス」で北新地に繰り出したい気持ちと共通するものがある。1人称は「ぼく・わたし」。
 「雨の降る夜に」は別に大阪の街を特定しているわけではないのだが、大阪の匂いのする曲で、なんとも切ない。1人称は無し。
 打って変わって有山淳司が楽しく歌う「梅田からナンバまで」。梅田から難波まで約4km、散歩するのも良いかもしれない。このコースは「雨の御堂筋」では欧陽菲菲が一人で歩き、海原千里万里もそぞろ歩き、Boroは御堂筋を走るバイクの咆哮を耳にしている。私自身は梅田から難波まで通して歩いたことはない。心斎橋から難波は歩くのには、どちらかというと心斎橋筋、戎橋筋になるし。
 それはそうと、大阪の歌では御堂筋ばかり出てくる。とは言え、堺筋や心斎橋筋(しんさいばっすじ)って他の筋だと歌に乗りにくいなと思う。他の地方の人が聞くと、御堂筋以外にないのかと思われそうなのが、なんとも癪なのだが。別の見方をすれば、この曲から浮かび上がるような、銀杏並木の下を二人で腕組んで散歩するといった情景をイメージできる通りを持っている街って良いなと思う。ポプラ並木は背が高いし、柳の下には幽霊がってなってしまうし。
 この曲の1人称は「ぼく」。
 お次はなんとも「とったらあかん」。一部の方にはこれを別のカテゴリーの音曲と並べてしまう人もいるかもしれない。1人称は無し。因みに '91年の復活ライブでは「製作日数5年」の3番を聞くことができる。なんとなく耳に残るのである。
 「俺の借金全部でなんぼや」はなんとも忙しい曲だが、かつての笠置シズ子の「買い物ブギ」にも共通するようなノリがあり、このアルバムの関係者の名前が次々と出てくる。これを一気に歌いきるのは相当記憶力が必要となるのでは。因みに私は計算していないので、この曲の1人称「俺」の借金はなんぼか分からない。
 次の「俺の家には朝がない」は、有山淳司が打って変わってブルージーに歌い上げる。長屋の二階で朝から電気を付けるような日当たりの悪い部屋は大阪のみならず日本中の都市のあちこちにある。親父は酒浸りだわ、お袋はいないわで、ブルースっていうのは自らのそういう境遇から沸いてくるものなんだなと思ったりもする。アメリカの南部で、盲目ゆえに仕事もなく歌うしかなかった境遇とか。と思えば、「とったらあかん」もそういう歌わなしゃーないところからできてるのか。1人称はもちろん「俺」。
 「買い物にでも行きまへんか」では、「カイモニーでも行きまぁへーんか」と聞こえて、何を歌っているのだろうと思う人がいるかもしれない。タイトルにルビは振っていないが、「かいもの」ではなく「かいもん」である(恐らくは)。商人の街大阪で、あちこちにいろいろなものを買い物しに行こうという内容で、こんなもんまで買うんかいという部分もあります。
 そして最後を飾るのにふさわしい「なつかしの道頓堀」です。ピアノの音が良いですね~。道頓堀が約400年にわたって飲食歓楽街として今も続いているというのは、日本の歴史において稀有な存在かもしれない。こんなに長い間第一線を張ってきた飲食歓楽街は他にないのでは。この曲では道頓堀とその界隈の情景が浮かんでくるようで、ジャケットに使われているくいだおれの人形もそうだが、法善寺横町の佇まいなども懐かしく思い出される内容である。橋の袂で別れるのはやはり戎橋だろうか。そこから北と南へと、心斎橋方面と難波方面に別れるのもありがちな情景。最後はブルースによくあるフレーズで曲を締めています。この曲を歌っているのは、実は「大阪へ出て来てから」の人物かもしれない。
 このアルバムを通して聴くと、1人称が「わい」のものが3曲続き(おかまさんを除いて)、続いて「ぼく」が1曲をはさんで2曲(もしかして「雨の降る夜に」も「ぼく」か)、そして「俺」が3曲(「とったらあかん」は「わい」のようでもあるし、「俺」かもしれない)、最後に1人称不明と続く。この配置は偶然なのか、それとも意図的なものかは分からないが、混在している方が違和感を生むかもしれない。
 「わい」を良く使うのは、ガキやちょっと下卑たまたは庶民的な(フレンドリーな)オトナ、「ぼく」は公的な場合など改まった時や好感を寄せている女性や年上に対して、「俺」は「わい」と言ってたガキが成長して「わい」の代わりに使い始めたり、最もよく使われている1人称の一つである。また、「わい」は大阪の周辺部に広く分布しているように思う。また普段は「俺」(または「わい」)を使い、時と場合に応じて「ぼく」や「私」を使うというのが普通で、同じ人が時として「俺」、時として「わい」と言う例はあまりないと思う。それから、「わし」というのはおじぃになるまで普通使わない。「おう、わしや、清原や」って書いているマスコミは大阪人(または関西人)じゃないのだろう。それだけに、他の地方の人に大阪では一人称として「わし」を使うという誤解を広めているのは事実と違うなぁと思う。
 因みに「ぼちぼちいこか」というのは、「ゆっくり、のんびり、行きましょうか」ってことで、「最近どないや」と聞かれて「ぼちぼちでんな」といのは、「まぁまぁ、そこそこ、So So」って感じです。同じ言葉だけど意味とアクセントが違います。ただ、このアルバムのタイトルでは、「ぼちぼちいこか」のまた違う意味も含まれているようにも思う。それは「そろそろ本気出していくよ」みたいな意味である。レコードデビューに当たり、本気出して行くでぇという気概も入っているんやろうなぁ。

天岩戸神話と日蝕

日本神話の中でも有名なシーンの一つである天岩戸神話。素戔嗚尊の乱暴に天照大神は怒って岩戸に戸を閉じてしまいます。世の中は夜のように暗闇になり、神々は集まって相談し、天鈿女命がきわどいしぐさの踊りを見せたりして、神々は大笑いして盛り上がります。それをなんだろう時にした天照大神は戸を少し開けると、手力雄神が天照大神を引き出して、世の中は再び明るくなりました。
この神話を読むと、日蝕を体験した古代人がその体験を神話にしたのではないかと、多くの人が思うことでしょう。日の神が閉じこもり暗闇となった。これは皆既日蝕ではないかと。そして少し戸を開けるとという件は、皆既日蝕状態が終わり太陽の片隅が現れ、光り輝く姿を想起させます。そして世の中は元のように明るくなった。

古代に日蝕を体験した人々が語り合う中からこのような神話が生まれたのでしょうか。それならいつの皆既日蝕が元となったのでしょうか。そのようなお遊びを小文に記しました。下のダウンロードからpdfファイルを開いてください。
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卑弥呼の日蝕・再考

「西暦247年、恐怖の皆既日食が邪馬台国を襲った。そして卑弥呼は死んだ」という話があります。これは「証拠はありませんが、こういうことを想像することも歴史のロマンであり、愉しさ」ではありますが、最新の計算結果ではどうなのでしょうか。

はたして西暦247年の日蝕は卑弥呼に影響を与えたのでしょうか。下のダウンロードからpdfファイルを開いてください。
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日本古代の日蝕記事

学生時代に『続日本紀』を読んでいると、やたらと日蝕の記事が出てきました。当時は太陽太陰暦なので、月の始めの日に「秋七月己末朔。日有蝕之。」などの記載が、毎年と言っていいほどの割合で出てきます。数えてみると文武2年(698年)から延暦10年(791年)までの間に72例ありました。その後の六国史(『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』)を開いてみますと、延暦11年(792年)から仁和3年(887年)までの間に97例ありました。

昔はこんなに日蝕があったのでしょうか?

昔のことを思い出しながら、日本古代の日蝕記事について小文を記しました。下のダウンロードからpdfファイルを開いてください。

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