忍者ブログ

気楽に考えていることや過去記事(終了サービス)の再アップロード(音楽レビューやアクアリウム)等

CSTAの気楽な日々

   

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

Yellow Magic Orchestra: X∞MULTIPLIES 増殖


1980/06/05

 1.ジングル”ワイ・エム・オー”  Jingle "YMO"
 2.ナイス・エイジ  Nice Age
 3.スネークマン・ショー Snakeman Show
 4.タイトゥン・アップ
   Tighten Up (Japanese Gentleman Stand Up Please)
 5.スネークマン・ショー  Snakeman Show
 6.ヒア・ウイ・ゴー・アゲイン~タイトゥン・アップ
   Here We Go Again ~ Tighten Up
 7.スネークマン・ショー  Snakeman Show
 8.シチズンズ・オブ・サイエンス  Citizens Of Science
 9.スネークマン・ショー  Snakeman Show
10.マルティプライズ  Multiplies
11.スネークマン・ショー  Snakeman Show
12.ジ・エンド・オブ・エイジア  The End Of Asia
邦題:イエロー・マジック・オーケストラ『増殖』


 1980年という年はなんだか明るかった。 "Japan As No.1" なんて言われて調子に乗っていた頃で、漫才ブームに浮かれて日本中お笑いの渦に巻き込まれていた。音楽方面では1月に Paul McCartney がマリファナ不法所持で成田で逮捕され、Wings の公演が全てキャンセルされたことに始まり、12月には John Lennon がNYの自宅前で射殺されてしまう。その間、日本ではテクノブームだった。私は漫才ブームとテクノブームにどっぷり浸かった楽しい高校生活を送っていた。
 この年の日本の音楽業界は初めての経験に近いものがあったのかもしれない。TVCMで一般に火が付いたとは言え、シングルヒットなしのアルバムセールスで、当時のヒット番組「ザ・ベストテン」に入らないYMOのアルバムが、このアルバムも含めて4枚全てが、年間のアルバムチャートの上位に入った。1アーティストのアルバムがこんなに集中的に売れたのは初めてかもしれない。それも多くがインストか、少なくとも歌で売っている曲ではない。これも初めてだろう。そしてこのアルバムのように25cmという変則型で何十万枚も売れる。しかもお笑いも入っている。YMOがブームとなったこの年の異常さは際立っているかもしれない。
 このアルバムはYMOが売れ出したことで、2月に発売されたライブ盤『Public Pressure(公的抑圧)』の続編をアルファレコードが企画したことから、スタジオ録音2枚にライブ2枚は異常と細野晴臣からの逆提案でミニアルバムとして製作されたようである。だから少ない曲数を埋めるために高橋幸宏のアイデアで曲の間に当時知る人ぞ知る存在だったスネークマン・ショウを入れることにしたらしい。それでも当時のLPサイズ30cmに満たない時間なので25cmという変則にし、作るのも面倒だから限定生産にしようとしたらそれ以上に売れてしまったらしい。80年のYMOブームは売る側の予想をはるかに超えるものだったのだろう。確かに私の周囲にもスネークマン・ショウの部分のみで聞いているようなのも居た。
 曲は前作「Solid State Survivor」のB面(アナログ時代)の後続という感じで、高橋幸宏のヴォーカルを強く出したものとなっている。
 当時のエピソードの一つに、Paul McCartney とYMOとのセッションという話がある。もし Paul が逮捕されなかったらセッションが実現していたらしい。仮にこのセッションが実現していたとしたら、このアルバムも違ったものになっていただろうし、Paul がこの年に出す "McCartney II" も違っていただろうし、それ以前に Wings は解散しなかったかもしれないし、その頃YMOの音を結構意識して曲作りをしていた多くのUKのミュージシャンにも何らかの影響を残したことだろう。
 だが現実には Paul は拘置所の中で "Yesterday" を歌ったに過ぎなかった。とは言え、このアルバムに Paul のメッセージが入っている。
 Wings 一行と来日した(というか日本に戻ってきた)日本人が居る。元サディスティック・ミカ・バンドの福井ミカだ。Paul と Linda は John に会ってから来日ということで、NY経由の別便だったらしいが、その前にミカは Paul に日本ではドラッグに厳しいのでと注意をしていたらしい。しかし荷作りを担っていた Linda が入れてしまったらしい。それを Paul が全て被っての拘置所入りらしいが、Beatles 時代からどこに行くにも税関を通らない生活をしていたのだから、日本でも大丈夫と思っていたのかもしれない。
 Paul は拘置所で22番と呼ばれ、味噌汁を飲んで点呼を受けていたのだが、レコーディング中のYMOのアルバムに何か入れようということになり、Linda のメッセージ "He's Coming Up Like A Flower" を入れたのである。
 "Nice Age" の中のニュース速報の女性の声はミカで、「22番は今日で一週間経ってしまいましたけれども、でももうそこには居なくなって、彼は花のように姿を現します。 Coming Up Like A Flower.」というのがそれだ。そして一週間の拘置で釈放された Paul の復帰作は "Coming Up" だった。
 (参考文献:福井ミカ『ミカのチャンス・ミーティング』)
 当時は誰の声だろうなんて話題になった。
 このアルバムで漫才ブームにも呼応したようにスネークマン・ショウが話題になり、最初はYMOの3人が演じているのではなんていう憶測もあったほどだった(「だ、だぁれぇ」と言っているのは坂本龍一だとか、ハヤチヤマンペイは細野さんだとか。確かに細野さんはこの物真似を結構やっていたようだが)が、一躍有名人となってその後のスネークマン・ショウのアルバムも売れに売れるのは、レコード会社にとっては本当に予測外のことだっただろう。なお、80年にはこのアルバムの中のスネークマン・ショウに出てくる(関係する)大平正芳首相、林屋三平、パンダが相次いで亡くなっている。何か関係あるのかとまで噂を呼んだ。余談ついでだが三平を「昭和の爆笑王」と称するのは江戸落語界にとっては迷惑な話だろう。ここでのハヤチヤマンペイは三平の本質をえぐっている。
 音楽的には上にも書いたが、ヴォーカルを強調したロック色の濃いものが多いが、この後濃厚となっていく売れることから来る精神的不安定さを感じさせる部分もある。
 坂本龍一の「千のナイフ」収録の "The End Of Asia」をかなり日本調というか時代劇調、昔話調にアレンジしているのが面白い。同年のライブではかなり攻撃的なアレンジだったが、このアレンジのものでもう少し長く収録して欲しかったと思う。
 この年は、このアルバム以降6/21に高橋幸宏「音楽殺人」、7/21に坂本龍一「War Head」(シングル)、9/21に坂本龍一「B-2 Unit」がソロで出され、9/25の加藤和彦「うたかたのオペラ」に全面参加、それに加えてワールドツアーに年末の武道館まで、メンバーはいきなり多忙を極めた状況だった。
 何はともあれ、このアルバム最後の声、「あ~、日本は良い国だなぁ」という1980年だった。

PR

Yellow Magic Orchestra:Solid State Survivor


1979/09/25

1.テクノポリス  Technopolis
 2.アブソリュート・エゴ・ダンス  Absolute Ego Dance
 3.雷電  Rydeen
 4.キャスタリア  Castalia
 5.ビハインド・ザ・マスク  Behind The Mask
 6.デイ・トリッパー  Day Tripper
 7.インソムニア  Insomnia
 8.ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー  Solid State Survivor
邦題:イエロー・マジック・オーケストラ 『ソリッド・ステート・サヴァイヴァー』


 初めてYMOを聴いたのはいつだったかは実は記憶にない。いつ知ったかもトンと記憶がない。ただ、雑誌か何かで自分で発見し、聴いたような気もする。古い記憶を辿れば、King Crimson の「宮殿」を薦めてくれたプログレ好きな世界史教諭に、「最近出たイエローがすごい」なんてことを言ったのが、恐らく '79年の終わり頃か '80年の始め頃なので、このアルバムの発売の後なのは間違いない。レコード店でこのアルバムのジャケットを見つけてなにやら変だが何かありそうで買ったような気もする。ついでながら、当初はYMOとは言わず、「イエロー」とか「イエローマジック」と呼ばれていたように思う。
 ただ、すぐにハマった。何しろこれまで聴いたことのない音ばかりなのだ。これまではあくまでも電気楽器中心の音だったのが、電子楽器中心の音なのだ。それまでは Queen や Boston の "No Synthesizer" に共感していたのだが、一気に宗旨変えをしてしまい、Roland のカタログを見てはため息をついた。それまではシンセサイザーといえばどちらかと言えば添え物であり、効果音を生む楽器みたいな存在で、そのようなものに頼らずに人力(これまでにある楽器)で聴いたこともないような音を出すことに魅力を感じていた部分もあったが、そんなものは吹き飛んでしまい、こんなにすごいものかという印象が一気に宗旨変えを起こさせた。
 これまで聴いたことのない音の洪水、音の連続というのは、それほどインパクトがあった。シンセサイザーによる新しい時代の幕開けのような印象を受けていた。シンセサイザーの音色、シーケンサーによる人間業でない演奏、ヴォコーダーの声、シンドラの音などなど。
 自分の子供を見て思う。生まれた時にはもう既にこれらの音があり、自分が受けたような新鮮な感動を受けることがないのかと。
 TVで細野さんが語っているのを観たことがあるが、コンピュータ(シーケンサー)を手にした当初はアイデンティティの崩壊が訪れるらしい。つまり、これまで自分がやってきたことはなんだったんだと。一所懸命体でプレイしてきたことを、機械がやってしまうことによる、ミュージシャン不要という考えから来るアイデンティティの崩壊。これを乗り越えられない人は最初は手が出せなかったのではというような意味のことを語っていた。今では普遍化したからそんなことはないのだろうが、人間誰しも概念形成後にそれを打ち破るものに出くわした時、それを受け入れるか拒絶するかの大きな選択が待ち受けているもので、最初と言うのはそういうものなんだろう。だから、"No Synthesizer" なんて拒絶組も結構居たのだと思う。ま、電気楽器が出た時も、そういう拒絶組みって居たわけだし。
 このアルバムはアナログ時代のA面とB面とで、少し違う面を見せている。1~4までは基本的にインストで、ファースト・アルバムからの延長線上に位置するといった印象だが、5以降はその次に続く、よりビートの効いたロックな作りとなっている。
 「テクノポリス」は富士フィルムのカセットのCMで流行ったが、何と言っても「TOKIO」声と、少しずらしながらの "T E C H N O P O L I S" が印象的だった。坂本龍一が歌謡曲を分析して作った曲ということだが、基本的に日本人のリズムに合うようになっていたのだろうか。YMOは当初は細野さんの戦略からか、日本人が体を自然と動かすようなリズムをベースにしていったように思う。それが次の「アブソリュート・エゴ・ダンス」に顕著に現れている。サンディによる沖縄の掛け声と共に、黒潮文化というべきリズムを刻んでいるのだ。
 「ライディーン」は高橋幸宏の鼻歌から出来上がっていったようだが、最もキャッチーなメロディでYMOの代表曲のようになってしまった。この中の遊びとしては、途中のシンドラ連打や足音のような音などがある。これまでSE(Sound Effect)的なシンセくらいしか耳にせず、シンドラなんて初めて触れるようなものにとっては、とんでもない邂逅であった。「キャスタリア」は実は、このアルバムの中では「インソムニア」と並んで地味印象を受けるが、ある意味最もYMO的な要素を含んであるのかもしれない。この後の『BGM』以降にもつながるという意味で。
 「ビハインド・ザ・マスク」は後にマイケル・ジャクソンが手を加えたが、ポール・マッカートニーと一緒に「ガール・イズ・マイン」や「セイ・セイ・セイ」をやることになり中に浮いた形になっていたのをエリック・クラプトンがやることになるが、そのアレンジは坂本龍一のライブでも聴くことが出来る。最初に聞いた頃は覚えやすく頭の中に響き渡るイントロのメロディと坂本龍一のヴォコーダーの声が印象的だった。
 「デイ・トリッパー」はどういうわけかビートルズのカヴァーで、ディーヴォの「サティスファクション」と退避して語られることが多いが、ビートルズをこのように演ってしまうという点が当時は斬新だった。この無機的、機械的、当時なんとなく抱かれていた近未来的(21世紀には誰もが銀色のスーツを着ているようなSF漫画的な近未来)なビートルズの解釈といった受け止め方で、逆にオリジナルが非常に人間臭く感じられるほどだった。鮎川誠のギターもその中ではある種突き放したようなアバンギャルドな味を含んでいた。続く「インソムニア」は前の2曲で上がってきたテンションを少し落ち着かせながらも不安定な未来へ続くような音が流れ、また琴の音を思わせるような音色が「アブソリュート・エゴ・ダンス」にも共通する日本または東洋、イエローを想起させる。どこまでも続きそうな曲のまま最後の曲へと流れる。
 「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」は最もロックな曲と言えるし、また「ビハインド・ザ・マスク」とこの曲でアナログB面をサンドウィッチにしたことが当時の構成の糸だったように思える。この曲だけではないのだが、高橋幸宏のドラミングは当時斬新だった。このようなドラムを叩けるのは当時あまりいなかったようで、細野さんが林立夫ではなく高橋幸宏をメンバーに選んだのも分かるような気がする。ポリスのドラムに高橋幸宏の影響があるように思っていたが、後で知ったところではスティングが 1975 年にイギリスでツアーしたサディスティック・ミカ・バンドのファンで、それ以降も追いかけていて、初来日の時には高橋幸宏にも会いに行っているほどなので、やっぱりと思ったことがある。
 1980 年になると、1970 年代とは違った新しい10年に入ったような、21世紀により近付いたというような社会意識がどこかに流れており、フジ・カセットのTVCMで流れる次の世界をイメージさせるようなYMOのイメージは、その時代にマッチしたのだろう。YMOが大ブレークしていた頃にデヴィッド・ボウイが『スケアリー・モンスターズ』をだし、そしてポール・マッカートニーが『マッカートニーII』を出す。それらを聴いて(特に後者)、日本の音楽がついに世界の先に行ったという実感を持った。そういうちゃちなナショナリズムを喚起させるようなアルバムだったし、とはいえやはりあちこちに様々な影響を残したアルバムだった。

Yellow Magic Orchestra:Yellow Magic Orchestra (US Edition)


1979/06/25


 YMOは単なるシンセサイザー・グループではないというところが一つの特徴だ。とは言え、当時はそうではなくピコピコサウンドの先頭を行くイメージが強かった。しかし、このアルバムを聴いても良く分かるが、YMOはシンセを中心にしてはいるが、全てをシンセでというアプローチは最初から採っていない。電気楽器や生楽器も必要に応じて使用している。シンセだからこそ実現できたこと、シンセやコンピュータだからこそ生まれた発想を多用しているが、生が良い時は生も使用するという姿勢が柔軟だった。

Yellow Magic Orchestra:細野晴臣とイエロー・マジック・オーケストラ


1978/11/25

 1.コンピューター・ゲーム“サーカスのテーマ”
   Computer Game "Theme From The Circus"
 2.ファイアークラッカー  Firecracker
 3.シムーン  Simoon
 4.コズミック・サーフィン  Cosmic Surfin'
 5.コンピューター・ゲーム“インベーダーのテーマ”
   Computer Game "Theme From The Invader"
 6.東風  Tong Poo
 7.中国女  La Femme Chinoise
 8.ブリッジ・オーバー・トラブルド・ミュージック
   Bridge Over Troubled Music
 9.マッド・ピエロ  Mad Pierrot
10.アクロバット  Acrobat


 曲がフェイドアウトしていく。それに合わせて足跡も、、、あれ近付いて来る。小走りにやってくる。そして、
 「この次はモアベターよ」
 これが細野晴臣「はらいそ」の最後である。この次とはこのアルバムを指していたのだろう(横尾忠則との共作「コチンの月」ではなくて)。「はらいそ」製作中にYMOは結成された。それ以前より細野さんの頭の中には Black Magic と White Magic しかない西洋の枠に対しての Yellow Magic という東洋志向的なものが「イエロー・マジック・カーニバル」などに現れていたのだが、ついに実現方法を得、実現のためのメンバーが揃い、このアルバムの登場となったのだろう。
 ロックの基本構成は50年代に Little Richard などにより、ギター、ベース、ドラムとオプションとしてのピアノ(キーボード)というように固まった。基本的にどのバンドもその構成を踏襲している。最小ユニットにすればギター、ベース、ドラムとなり、3大ギタリストと言われる Jimi Hendrix, Jeff Beck, Eric Clapton がそれぞれ Experience, BB&A, Cream として実現している。Doors は少し変則でベースをキーボードが担当するという形態だったが、これは Led Zeppelin でも時として John Paul Jones がそれを行っている。そして、ギターの代わりにリード楽器としてキーボードを前面に出したのが Emerson, Lake & Palmer だった。YMOはELPを意識したのかどうかは不明だが、基本的に同じ構成となっている。
 シンセサイザーは '69年に Beatles "Abbey Road" で初めてロック・アルバムに使用されて以来、70年代に入ってプログレを中心に使用頻度を上げてきた。その使用方法は大きく分けて2つあったと思う。1つはこれまでにない音色を出す楽器としての使用であり、オルガンやエレクトーンと共に、一人でもオーケストラに匹敵するというような方向性にまで至るものであり、あと1つにはサウンド・エフェクト、つまり音響、効果音等の使い方で、これに対してはシンセを使用しないでもここまで出せるといった頑張りを見せた人たちも居た。前者の場合が特にシンセを重要な楽器として使用するパターンで、クラシックを少人数で実現することなどに目標設定していたのかと思えるケースもままある。YMOの Orchestra というのはそういう状況を踏まえた上で、どういう意図で付けたのだろうか。
 YMO登場に当たって大きなポイントになるのはシーケンサーである。当時定価120万円もした Roland の MC-8 という代物によって、初めてテンキーから打ち込まれた数値化されたデータから音楽が奏でられた。いわばコンピュータ使用による演奏の実現だが、これを使用した最初のレコード(コンピュータを使用した世界初のレコード)が坂本龍一の「千のナイフ」である。
 これにより非常に画期的なことが生じた。人間が楽器を演奏するのは主に手、足、口を用いる。従って、物理的にそういう人間の器官の動きに依存した曲でなければ演奏できないのである。しかし音を数値化してプログラムにより制御して曲を演奏することで、音程の違い、音を出すスピードなど、人間の器官に依存しない曲を実現することが可能となった。ただし、このこととそれによって実現した曲が良いものかどうかは別問題だが。
 YMOの最初の功績の一つはその実現例を示したことにある。しかも楽譜に忠実に数値化するだけでなく、人間的に例えば1/24ずらすなどの小技も入れているらしい。
 当時はまだシンセサイザーは特別な存在で、中には拒否反応を示すミュージシャンも少なからず居た。いくつかのアルバムには "No Synthesizer" と明記され、それが話題となり、評価されるくらいだった。
 YMOはその活動時期においてシンセサイザーの使用による音楽の実現というものを具体例を示しながらその方法論を作っていったような存在だった。ちょうど時期的にシンセサイザーがこなれだした頃で、コンピュータ制御が可能となり、また日本の当時の工業立国としての環境(空気)など、タイミングもそういう時期だったと思う。そしてYMOの最初の功績のもう一つは、シンセを特別な存在としなかったことにあると思う。コンピュータもシンセも他の楽器も自らの音楽の実現手段としてプレーンにしたようなところがある。坂本龍一は当時、生の楽器の音が欲しければシンセで作る必要がなくその楽器を使うといったコメントをしてたことを記憶しているが、その言葉にそれが表れていると思う。また実際にこのデビューアルバムから、100%シンセということもない。それでいて、最新の実験も行うというような音作りを繰り返しながら活動してきた好奇心に満ちたバンドであったと思う。このアルバムやセカンド・アルバムを作るのは非常に楽しかったのだろうなと思う。音楽だから音を楽しむというのは坂本龍一の基本ポリシーのように感じるし、他のメンバーも洒脱なところがあるからかもしれない。
 曲についてはUS盤の方で触れるとして、このアルバムはUS盤に入っていない "Acrobat" が入っている。なぜUS盤では抜かれたのだろう。最初の当時流行ったゲーム「サーカス」(風船割り)の音をアルバムの先頭に入れているが、それのリプリーズ的な存在でもある。
 今世界に向けての日本と言えば、Game, Karaoke, Animation となるが、このアルバムも今となってはその最初の頃の時代を思わせる。
 当初は「細野晴臣とイエロー・マジック・オーケストラ」と記され、レコードの帯の上部にはジャンルとして「フュージョン」と記されていた。
 因みにこのアルバムの発売日に椎名林檎が生まれている。

Otis Redding:In Person At The Whisky A Go-Go



 1.I Can't Turn You Loose
 2.Pain In My Heart
 3.Just One More Day
 4.Mr. Pitiful
 5.Satisfaction (I Can't Get No)
 6.I'm Depending On You
 7.Any Ole Way
 8.These Arms Of Mine
 9.Papa's Got A Brand New Bag
10.Respect

 今、Otis Redding を楽しむのなら、Ultimate があれば足りるかもしれないが、Otis Redding がすぐにカバーした Rolling Stones 初の全米No.1ヒット "Satisfaction" の、このアルバムでの Otis は、Stones もぶっ飛んでしまう。これを聴くだけでもこのアルバムは価値があると思う。最も熱い "satisfaction" かもしれない。こんなに熱くて、切れまくってて、おっさん死ぬでと心配してしまうのだが(それとは関係なく死んでしまったが)、Stones に影響を与えた Otis が Stones 以上に Stones の曲を熱くプレイして、Keith Richards も満足だったんだろうと思ってしまう。私もこの "Satisfaction" が聴けて、満足である。

プロフィール

HN:
CSTA
Webサイト:
性別:
男性

P R

Copyright ©  -- CSTAの気楽な日々 --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]