1978/11/25
1.コンピューター・ゲーム“サーカスのテーマ”
Computer Game "Theme From The Circus"
2.ファイアークラッカー Firecracker
3.シムーン Simoon
4.コズミック・サーフィン Cosmic Surfin'
5.コンピューター・ゲーム“インベーダーのテーマ”
Computer Game "Theme From The Invader"
6.東風 Tong Poo
7.中国女 La Femme Chinoise
8.ブリッジ・オーバー・トラブルド・ミュージック
Bridge Over Troubled Music
9.マッド・ピエロ Mad Pierrot
10.アクロバット Acrobat
曲がフェイドアウトしていく。それに合わせて足跡も、、、あれ近付いて来る。小走りにやってくる。そして、
「この次はモアベターよ」
これが細野晴臣「はらいそ」の最後である。この次とはこのアルバムを指していたのだろう(横尾忠則との共作「コチンの月」ではなくて)。「はらいそ」製作中にYMOは結成された。それ以前より細野さんの頭の中には Black Magic と White Magic しかない西洋の枠に対しての Yellow Magic という東洋志向的なものが「イエロー・マジック・カーニバル」などに現れていたのだが、ついに実現方法を得、実現のためのメンバーが揃い、このアルバムの登場となったのだろう。
ロックの基本構成は50年代に Little Richard などにより、ギター、ベース、ドラムとオプションとしてのピアノ(キーボード)というように固まった。基本的にどのバンドもその構成を踏襲している。最小ユニットにすればギター、ベース、ドラムとなり、3大ギタリストと言われる Jimi Hendrix, Jeff Beck, Eric Clapton がそれぞれ Experience, BB&A, Cream として実現している。Doors は少し変則でベースをキーボードが担当するという形態だったが、これは Led Zeppelin でも時として John Paul Jones がそれを行っている。そして、ギターの代わりにリード楽器としてキーボードを前面に出したのが Emerson, Lake & Palmer だった。YMOはELPを意識したのかどうかは不明だが、基本的に同じ構成となっている。
シンセサイザーは '69年に Beatles "Abbey Road" で初めてロック・アルバムに使用されて以来、70年代に入ってプログレを中心に使用頻度を上げてきた。その使用方法は大きく分けて2つあったと思う。1つはこれまでにない音色を出す楽器としての使用であり、オルガンやエレクトーンと共に、一人でもオーケストラに匹敵するというような方向性にまで至るものであり、あと1つにはサウンド・エフェクト、つまり音響、効果音等の使い方で、これに対してはシンセを使用しないでもここまで出せるといった頑張りを見せた人たちも居た。前者の場合が特にシンセを重要な楽器として使用するパターンで、クラシックを少人数で実現することなどに目標設定していたのかと思えるケースもままある。YMOの Orchestra というのはそういう状況を踏まえた上で、どういう意図で付けたのだろうか。
YMO登場に当たって大きなポイントになるのはシーケンサーである。当時定価120万円もした Roland の MC-8 という代物によって、初めてテンキーから打ち込まれた数値化されたデータから音楽が奏でられた。いわばコンピュータ使用による演奏の実現だが、これを使用した最初のレコード(コンピュータを使用した世界初のレコード)が坂本龍一の「千のナイフ」である。
これにより非常に画期的なことが生じた。人間が楽器を演奏するのは主に手、足、口を用いる。従って、物理的にそういう人間の器官の動きに依存した曲でなければ演奏できないのである。しかし音を数値化してプログラムにより制御して曲を演奏することで、音程の違い、音を出すスピードなど、人間の器官に依存しない曲を実現することが可能となった。ただし、このこととそれによって実現した曲が良いものかどうかは別問題だが。
YMOの最初の功績の一つはその実現例を示したことにある。しかも楽譜に忠実に数値化するだけでなく、人間的に例えば1/24ずらすなどの小技も入れているらしい。
当時はまだシンセサイザーは特別な存在で、中には拒否反応を示すミュージシャンも少なからず居た。いくつかのアルバムには "No Synthesizer" と明記され、それが話題となり、評価されるくらいだった。
YMOはその活動時期においてシンセサイザーの使用による音楽の実現というものを具体例を示しながらその方法論を作っていったような存在だった。ちょうど時期的にシンセサイザーがこなれだした頃で、コンピュータ制御が可能となり、また日本の当時の工業立国としての環境(空気)など、タイミングもそういう時期だったと思う。そしてYMOの最初の功績のもう一つは、シンセを特別な存在としなかったことにあると思う。コンピュータもシンセも他の楽器も自らの音楽の実現手段としてプレーンにしたようなところがある。坂本龍一は当時、生の楽器の音が欲しければシンセで作る必要がなくその楽器を使うといったコメントをしてたことを記憶しているが、その言葉にそれが表れていると思う。また実際にこのデビューアルバムから、100%シンセということもない。それでいて、最新の実験も行うというような音作りを繰り返しながら活動してきた好奇心に満ちたバンドであったと思う。このアルバムやセカンド・アルバムを作るのは非常に楽しかったのだろうなと思う。音楽だから音を楽しむというのは坂本龍一の基本ポリシーのように感じるし、他のメンバーも洒脱なところがあるからかもしれない。
曲についてはUS盤の方で触れるとして、このアルバムはUS盤に入っていない "Acrobat" が入っている。なぜUS盤では抜かれたのだろう。最初の当時流行ったゲーム「サーカス」(風船割り)の音をアルバムの先頭に入れているが、それのリプリーズ的な存在でもある。
今世界に向けての日本と言えば、Game, Karaoke, Animation となるが、このアルバムも今となってはその最初の頃の時代を思わせる。
当初は「細野晴臣とイエロー・マジック・オーケストラ」と記され、レコードの帯の上部にはジャンルとして「フュージョン」と記されていた。
因みにこのアルバムの発売日に椎名林檎が生まれている。