1969/10/10 (UK)
1.21st Century Schizoid Man including Mirrors
2.I Talk To The Wind
3.Epitaph including March for No Reason
and Tomorrow and Tomorrow
4.Moonchild including The Dream and The Illusion
5.Court Of the Crimson King
including The Return of The Fire Witch and
The Dance of The Puppets
プログレッシブ・ロックというロックのカテゴリーがある。特に定義はないと思うが、どんなものかと聞かれれば、まずはこのアルバムを聴いてくれということになる。50年代に登場し、60年代に社会的にも音楽的にも広がりを見せ、70年代を迎えようかという中にあって、当時のロックの枠から外に出ようとした音楽である(そう、70年代に入る前にもうロックの枠なんてあったんだ)。ということで「進歩的」なロックという名を冠せられたが、何が「進歩的」だったのか。
いくつかの特徴が挙げられるが、楽器構成の違いと曲の構成の違いが大きなものとして挙げられよう。楽器構成は、従来主流であったギター、ベース、ドラムスに加えて、キーボードまたはオルガンの比重が高まり、60年代中盤に取り組まれた実験的な楽器の使用頻度も高められた。曲の構成については、クラシックや現代音楽からの大きな影響や融合が見られ、基本的にはロックを立脚点としてロックやクラシック、そしてジャズといったジャンルの境界線を越えるものであった。もしロックの枠というものがあるとすれば、それは売り手の論理でカテゴリーとして分けられていたわけで、表現者や聞き手のカテゴリーとしては意識しなくても良いということを明らかにしたとも言える。
それが可能になった背景には、60年代を通じて大きくなったマーケットの変化にある。ロックのマーケットは当初、3分間の音楽に対価を払うものであった。シングル盤の中心の市場であり、それを取り上げるラジオやTV、ジュークボックスなどなどであった。それが60年代半ばに変質していく。ブリティッシュ・インヴェイジョンを契機とするロックの市場の拡大は、アルバムが市場性をもちその重要性が高まった。アルバムはシングル盤の寄せ集めでなく、新たに投資をしてアルバムを製作してもビジネスとして成り立つようになった。その取り組みの一端が Beatles "Revolver" や "Sgt. Peppers'"、 Beach Boys "Pet Sound" などを嚆矢として認知されていった。
これらの成功事例を元にして、アルバムをベースとした音楽作りが可能となった。シングル盤の3分(それを延ばしても数分)の枠を超えて、A面B面各々二十数分ずつの時間を視野の中に入れた曲作りに変わっていった。
曲の構成の違いの背景として、検証は行ってはいないが、こういったものが挙げられよう。
楽器構成の違いという点では、電気楽器、電子楽器の発達が上げられる。フェンダーやギブソンのエレキギターの確立は50年代と言える。それが60年代に主流となるが、その60年代には鍵盤を使用した電気楽器の発達が大きなものだった。そしてその後のシンセサイザー(電子楽器)の発達につながっていく。
新しいものへの取り組みということは、常にロックの大きな精神の一つである。60年代も半ばを過ぎるとサイケデリックの波の中で、新たな試みがいくつも行われ、その動きの中で、プログレシッブ・ロックの登場も必然であったと言えよう。
このアルバムはショッキングなものであったに違いない。リアルタイムで経験していないから想像でしかないが、それはアルバム・ジャケットだけをとってもうかがうことができる。今をもってしても、ロック史上最もインパクトのあるアルバム・ジャケットの一つに挙げられよう。
そして最初の曲が "21st Century Schizoid Man including Mirrors" である。邦題は「21世紀の精神異常者ミラーズ」とあった。今は「21世紀のスキッツォイド・マン」なんて「言葉狩り」または「歴史の歪曲」を行っているが、カタカナ表記よりも全て日本語で表記した方がインパクトがあるので、どうせなら「21世紀の精神分裂病質者ミラーズ」とでも「言い換え」ても良かったのかもしれない。どっちでもいいことだけど。
その出だしからまたまたインパクトがあるのだ。一度聴いたら忘れられないイントロのベスト5に入るかもしれない(Queen "We Will Rock You" も入るね)。そしてファズをかけた声。確かに全てがプログレシッブだ。
対照的な "I Talk To The Wind" の配置が良い。"21st Century Schizoid Man including Mirrors" と同様の曲が連続していたら、プログレッシブではなくなったかもしれない。 "Epitaph" はこのアルバムの中心核である。ここに至るまでの流れで、最初のアルバムにしてここまで作り上げてしまって良かったのかと、余計な心配をしてしまう。結局いつまでたっても King Crimson はこのアルバムが一つの桎梏となったとも言える。
通常の会話ではあまり出てくることのない"Epitaph" とは「墓碑銘」の意味だが、こういうテーマを詩に持ってくるあたりもプログレッシブたる所以である。"Confusion will be my epitaph. If I fear tomorrow as I'm crying" などという、「混乱」と「墓碑銘」の対比、"will be" という明確さに対する "I fear tomorrow" という不安定さを混ぜ込んで "I'm crying" と続くフレーズがまさにこのアルバムの主題であり、聴くものの頭の中に残っていく。
それにしても、この曲の中で聞こえてくるチン・ドン・シャーンという繰り返しが、なんだか子供の頃聞いた天理教のと同じです。
先にも書いたけど、King Crimson は、プログレッシブ・ロックを代表するとも言えるこのアルバムがファーストであったがために、いつまでもこのイメージと付き合うことになる。
因みに今でも「ビートルズの『アビー・ロード』を抜いてイギリスのチャートの1位になった」アルバムとして紹介されることがある。これ、日本だけの紹介の仕方だが、実は証拠がない。どのチャートかも不明だし、どこかのローカルな小さなチャートという噂もある。それがどういうわけか日本でだけこういう紹介のされ方がいまだに続いていて、しかも話が大きくなって全英チャート(って本当に何のチャートだよ)ということにまでなっていたり蹴落としたという表現になっている。少し調べてみると、1969年と翌年の "Music Week" または "New Musical Express" のどちらかの年間チャートにはビートルズの『アビー・ロード』はランクインしているが、このアルバムはランクインしていない。そもそも信憑性のない話のように思える。このアルバム発売当時の日本へ入ってくるイギリスの音楽事情からいくと、結構いい加減な情報をそのまま検証もせずに宣伝文句に使った気もする。こんないい加減な話を吹聴した音楽評論家の言葉を長い間信じていた自分が情けない気がする。
ここで私は、このことでもってこのアルバムの評価を下げようという意図はまったくなく、日本だけにあるヘンな説をそろそろ葬り去りたい気がしているだけだ。ビートルズの名を借りた宣伝文句を使わなくても、このアルバムの評価は揺るぎない。
他にも『アビー・ロード』の次にイギリスで1位になったアルバムとしてローリング・ストーンズの『レット・イット・ブリード』が挙げられることもある。これも証拠調べはしていないが、こちらはどちらかのチャートでそうなっていそうでもある。ついでながら全米チャートではビルボードもキャッシュ・ボックスもレコード・ワールドもいずれも時期は違うがレッド・ツエッペリンのセカンド・アルバムが『アビー・ロード』の次に1位になっている。
話は変って、東京新宿の中では少し寂しい西新宿の大久保方面への通りにロフトというライブハウスがあり(あった?)、その周辺にはブート(海賊版)や中古盤、輸入盤を扱う店が多く、90年代になっても70年代の雰囲気を残したような一角であったが、今はどうなんだろう。そんな中で道路に向けてこのジャケット写真を大きく出している店があった。ロックマニア向けの本が少し充実している小さな書店は、某宗教団体系の大型書店の出店のあおりを受けて閉店したが、あの辺りには10年ほど行ってない。それから、吉祥寺という町の中古CDショップの入ったビルにも同様に、このジャケット写真が Velvet Underground and Nico のジャケットなどとともに貼り出されている。
このアルバムはやはり高校生ぐらいにならないと聞けないのかなぁ。高校の時にやはりはまった同級生がいた。それで良かったのか、少し責任を感じないわけでもないが、当時ですら既に発売後10年以上も経った音楽にはまっても、とここまで書いた時、100年以上も前の音楽ばかり聴いているよりは良いのだろうと思い直した。
ともかく、プログレに興味を持った人、ロックの通を気取りたい人は聴かないともぐりです。