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気楽に考えていることや過去記事(終了サービス)の再アップロード(音楽レビューやアクアリウム)等

CSTAの気楽な日々

   

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或る昭和の記憶 自叙回想 入学(二)

郡上紬も小規模ではあるが、芸術的に織られ、蚕にはエリア蚕を用いて手つむぎによる紡績、そして植物による染料を使用し、独特の味わいをかもし出す。相当高度な織物である。民家の納屋等で繭を釜で茹で、その糸を枠に巻き取る作業を内職的に、又家業として営んでいる家庭を見ることができる。

釜で茹でている時のその臭いは相当きつく、馴れるまでは随分日時を要した。

大変人情味豊かな土地である。家族はこの地に三年半余住むことになった。


しかし、一年生の私には昨日この地に住み始め、西も東も全くわからない。

登校初日、二時間もすれば下校となる。大勢の友人と共に先生に別れを告げ校門近く迄来た。然し、通用門が三か所あり、朝母と一緒に通ってきた道への門に皆目記憶がない。

さて困った。一番西側の門を通り、まっすぐ南へ行けば帰れるものを、大勢が出て行く東門へ行った許りに、行けども行けども我が家らしきものは見当たらない。愛宕山の方まで歩き、人家のない所で泣き喚き、涙を手で拭い乍ら又、校庭まで帰って来た。この間約一時間は経過したことだろう。

無理もない。昨日の午後引越してきて、最初の外出が今朝の登校だから。校門に佇み姉の出現を待った。校庭を眺めていたら早くも友をつくったであろう姉(五年生)が楽しそうに会話しているその風貌を見ることができた。

姉のもとへ飛んで行きたい、そんな心境にかられ走り出した。目敏い姉は私を見付け、友と二三語ったあと、我が家へ連れ帰って呉れた。本当に嬉しかった。

母がいろいろと慰めて呉れるも効果なく、一頻り泣き続けた。とんだ初日であった。

後で聞いたが母も帰り道を間違えたそうだ。

母は引越してきた直後で家財道具や身の廻り品の整理に目まぐるしく立働いている。祖母も何かと忙しそうに振るまっていた。多忙な様子は一目でわかる。

家は古いが大きな造りであった。門の立派な扉には閂がしつらえ、子供では開閉は無理なようだ。門から玄関まで飛び石、部屋数も多い。広い庭園には池があり、小川の流れを上手に利用したものだ。その庭園には多くの樹木が植栽され、石の燈籠が十二基も建立してある。池の周囲には大きな岩が敷設され、蘚の付着した緑は池にも映え、見飽きることなき風情でもある。優美といえる。

目を転じれば山の頂に八幡城がそびえ、そういった景色を見る限り最高の地といえる。

私の通学する服装は当時としては、これ以上のものはなかったのではなかろうか。紺のサージ地のダブルの上着に白襟を付け、慶應義塾大学のペンを組み合わせた金ボタン。半ズボンに黒の革靴。登校して校庭の片隅に立っていると多勢の上級生等が取囲み、その服装を見て「お前はどこの子や」等喰入るように眺める。余りのしつこさに皆と同じような格好でよいのにと思ったりもした。全く贅沢な話だが、小さな私にはそんな思いも無理からぬ事だ。


兄は中学三年生になっていた。美濃太田町に居住していた時には、岐阜市へ汽車で通学もできたものだが、八幡町からは到底無理である。

折角入り勉励できる岐阜市から美濃町(現美濃市)の武儀中学へ転校しなくてはならない。残念に思ったことであろう。岐阜県下では一番の進学校。将来高等学校、一流の大学への一本のレールの上に乗り、努力もせんとしたであろうに。希望、夢が粉砕されたような形。それでも温厚な兄は下宿もせず早朝六時頃の汽車で通学していた。母も大変だったことと思う。

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