僕は餌やり当番だったように思う。水槽は、周囲のフレームにこってりとオレンジのパテでガラスが止めてある60cm水槽だ。夏になるとそのオレンジが少しやわらかくなって、僕を不安にさせた、、、けど、小学生になったぐらいのガキなので、そんなこと気にしない。
水槽の中には五色石を敷いて、中ほどには高さ15cm、幅10cmほどの屏風岩みたいなのを置いて、お約束の水車小屋、それにワカメみたいな作り物の水草が主なレイアウト部品。その頃の感覚では、金魚用の水草なんて買うものじゃなく、川で取ってくるものだが、
餌は単に「金魚の餌」という、なんかふりかけを腐らせたような匂いのするものを朝晩やっていた。蛍光灯はやっぱり1灯式のがついていたと思うし、朝晩点けたり消したりしていたなぁ。
僕の母親は綺麗好き!
話は変わるようだが、僕の母は非常に日本人的な綺麗好きだ。衛生学的清潔さよりも気持ちの問題を重視するのだ。やることがないととりあえず掃除をしてしまう。自分の実家に行っても、のんびりすれば良いのに、なぜか掃除をしてしまう。性分なのだ。だから、蒲団干しが好きだ。趣味と言ってもいいくらいに好きだ。ほかほかの蒲団で寝るのは何よりも気持ちが良いらしい。なのに僕は、それが苦手だ。蒲団を干すのは良い。でも、長時間干されてはだめだし、取り込んだ後は部屋で冷ましてからでないと、夜暑くて眠れない。もう十数年一緒に住んでないが、最近引越した家の写真を見て、
「よー蒲団が干せそうで、えーなー」
なんて言っていた。
で、ここから話は金魚の方へと合流する。
こんな母だから、水槽の掃除をするとなると大変である。水換えじゃないのだ。掃除なのだ。
当時はって1970年代前半だけど、金魚水槽では月に1度くらいの割合で水槽掃除をするのがジョーシキじゃなかったか。とにかく、水道水でも井戸水でも、前の晩から汲み置きするのが良いってことで、家中のバケツ総動員で汲み置き水を並べていた。
そして当日。気合の入った我々は、どこの家にもあった盥(今はないね~)に金魚を移動させ、そして糞や食べかすやらで汚くなった砂、石、濾材を洗うのだ。当然ながらコケで滑りがついたワカメみたいなのや屏風岩みたいなのや、水車小屋や水槽も洗うのだ。こうなると綺麗好きの母の独壇場である。
「これで金魚も気持ちがええやろ」
って、真っ白になった濾過綿が入った縦型内部フィルターに、なんとなく白い気がする水槽の水。僕の役目は滑りが取れて綺麗になったワカメや屏風や水車のレイアウトだ。
バクテリアなんて知らんがな!
金魚水槽はいつのまにかなくなった。僕は記憶にない。父親か弟か、または僕が水槽に異物を入れてしまったか何かで全滅したような話があるが、あえて話題には上らない。
一人暮らしして、就職してから、たまに飼いたいけど手間だから飼えないだろうなぁって、ふと熱帯魚のことを思ったりした。その頃住んでた町の(って今も同じ市内なんだが)、今はもう再開発されてしまったけど、その前のごちゃごちゃした商店街の中に熱帯魚屋さんがあって、子供の頃に見たネオン・テトラを思い出した。
結婚した後に、同じ職場で熱帯魚をやってるっていう人に出会った。なんか昔みたいに水槽の掃除をしなくても良いらしいってことが分かって、子供の頃に羨望の的だった熱帯魚を飼うことにした。1992年のことだ。約20年ぶりに。
友人(同じ職場の人)に聞いた。本を読んだ。Niftyのフォーラムを覗いた。
すぐに分かったことだが、バクテリアって大切なんだ。そして子供の頃の金魚のことを思い出した。
思えばいつもつらい思いをさせていたようだ。濾材も茶色くなってバクテリアも沸いて、やっとなじんだ頃にピカピカに掃除して、「気持ちええやろ」もないもんだ。あの頃飼っていた金魚には、毎度毎度パイロット・フィッシュのようなつらい思いをさせていたんだろうな。そりゃネオン・テトラもすぐ死ぬわ。金魚だから体力勝負でどうにか持っていたんだ。
教訓は活かされているか!
今も女房が蒲団を干す。それほど暑くない時期など部屋で蒲団をさほど冷まさないでいる。おい、僕はそれだと眠れないんだよ。蒲団の中からホコホコ暑さがにじんできて、汗ばんで気持ち悪くて眠れずに、憂鬱で不眠症みたいな夜を過ごすことになる。そんな時ふと、知らぬこととは言いながら、金魚には悪いことをしていたんだなぁって思い出したりするのだ。
でも、バクテリアが大切だって知っていても基本的に飼育するものの気持ちだってことなんだろうな。あの頃はあーしてやることが金魚たちにとって良いことだと思ってた。今やっていることも、本質的には変わらない。水槽のために良いことをやろうとし続けているはずだ。1~2年で砂を取り替えて水槽をリセットするなんてアプローチがあるけど(そう、最近はやりの何とかサンドの類)、それって良い道歩んでるってことなのかなぁ。
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